西南の光

2.1.10

「西南地方(せいなんちほう)の陽光(ようこう)」ロラン・バルト

この作家(さっか)は彼の出身地(しゅっしんち)である、ベアルン地方(ちほう)を以下(いか)のように、とても美しく(うつくしく)描写(びょうしゃ)しています。

「私にとって、第二(だいに)の南西部(なんせいぶ)は地方(ちほう)ではなく、単なる(たんなる)線(せん)、何度も(なんども)体験した(たいけんした)行程(こうてい)なのだ。パリからバイクでやって来て(この旅(たび)を幾度(いくど)したことか)、アングレームを過ぎる(すぎる)と、あるサインが現れて(あらわれて)、私が家(いえ)の敷居(しきい)をまたいだということ、子供時代(こどもじだい)のふるさとに入ったということを教えてくれる。サイン、それは、脇(わき)の松(まつ)の木立(こだち)、家の中庭(なかにわ)のヤシの木、そして、土地(とち)に次々と(つぎつぎと)変わりゆく(かわりゆく)様相(ようそう)を与える(あたえる)雲(くも)のあの高さ、なのだ。そのとき、気高く(けだかく)も、繊細な(せんさいな)あの南西部の偉大な(いだいな)陽光(ようこう)が現れる(あらわれる)。それは、決して(けっして)灰色(はいいろ)でなく、決して低く(ひくく)ない(たとえ太陽(たいよう)が照って(てって)いなくても)、いわば「光(ひかり)の空間(くうかん)」であって、それは、物々(ものもの)に影響(えいきょう)を与える(あたえる)「その色(いろ)」によって確定(かくてい)されるというより(他の(ほかの)ミディ地方ではよく見かけられることだが)、陽光のおかげで土地に生まれた(うまれた)「際立った(きわだった)居住性(きょじゅうせい)」によって確定されている。この陽光にたいして、私は次(つぎ)の言葉(ことば)しか思いつかない。「それは、光り輝く(ひかりかがやく)光なのだ」。ただ、この陽光は秋(あき)に見なければならない(いや、むしろ、聞かなければならない。それほどこの光は音楽的(おんがくてき)なのだ。)この地方では、秋(あき)は至上(しじょう)の季節(きせつ)であって、陽光はその時(とき)、その年の最後(さいご)(うつくしい)の美しい光となるがゆえに、流れて(ながれて)、輝き(かがやき)、身(み)をきるように強烈(きょうれつ)なのだ。そして、この陽光が、物々の独自性(どくじせい)にその輝き(かがやき)を与えて(あたえて)いる(南西部は微気候(びきこう)の地方である)おかげで、この地方はあらゆる俗物性(ぞくぶつせい)、あらゆる集団性(しゅうだんせい)から遠ざけられて(とおざけられて)、安易な(あんいな)観光(かんこう)には適さない(てきさない)という姿(すがた)をみせている。

                         1977年9月10日「ユマニテ」の記事(きじ)より。

                             [ 記事をすべて読む場合(ばあい) ]